2009年8月25日火曜日

8/22 いよいよ念願のマチュピチュへ






いよいよ念願のマチュピチュへ

マチュピチュ遺跡はマチュピチュ(古い峰という意味)とワイナピチュ(若い峰という峰)の間の尾根に作られた遺跡。
下からは一切見えないため空中都市といわれる所以でなかなか発見されなかったという。

学生のころの卒業旅行でメキシコやグアテマラあたりのマヤ遺跡を見て、いつかはインカのマチュピチュをと、、
長い間の夢であったマチュピチュ。

チケット片手に門をくくりちょっと登ると良く見る風景が目に飛び込んでくる。

しかし、旗を持ったガイドに連れられて決められたコースを行く間に何らかの違和感が、、、


遺跡そのものはすごいんだろうけど、人がやたら多く、芝生で整備されていたり、遺跡というよりは公園という感覚になってしまう。

小学校のときにバス旅行で奈良公園や大仏に連れられてきたような感じ。

昔、アンコールワットに行った時に、地元の人に1日10ドルくらいで払って、バイクに2人乗りしてあちこち回ったときに感じた興奮が感じられない。

アンコールワット全部を回るには3日でも足りないくらい。

メキシコに行ったときも、メキシコシティ近郊のテオティワカンに行った時と、ティカルに行った時ではジャングルの中にそのまま残っているティカルのほうが断然良かったし、

一日4000人~6000人の入場者があり5分に一本のバスがマチュピチュと下のアグアス・カリエンテスを往復している状況ではそれもやむを得ないのかも、、


日本語、英語、スペイン語、仏語のガイドの声があっちこっちで聞こえている状況では静けさの中にある遺跡の放つ雰囲気というものが味わえないのかもしれない。

長い間好きだった異性と付き合ってみたら、意外とあれっ違うなて感じと同じ!?












    

8/22 ペルーのシーサー?




窓から民家を見てて気づいたのですが、ペルーにもシーサー?があるようです。
あっちこっちの屋根に乗っています。

8/22 ペルーの車窓から







マチュピチュへはクスコ近郊のポロイという駅からペルーレールに乗って出発します。


クラスはハイラムビンガムトレイン、ビスタドーム、バックパッカーというクラスがあり、クラスによって値段は違いますが、私はお金が無いので一番安い「バックパッカー」というクラス。

座席は昔の緑とオレンジの快速電車のような感じで結構狭く日本人は誰も居ませんでした。

ビスタドームあたりが多いようです。

牛や豚、羊がいる牧歌的な風景やウルバンバ川やアンデスの山々の風景の中、列車は4時間ほどでマチュピチュまで着きます。
レストランはこのクラスには着いていないですが、車内販売のサンドウィッチが結構おいしかったです。

途中の駅で降りて、3泊や6泊ほどかけてマチュピチュまで行くトレッキングが欧米人には人気のようでたくさんの方が降りていきました。

欧米人の休暇はなかなかアクティブですね。

日本人でそれだけの期間をトレッキングで過ごそうという計画を立てても実現できないし、、


8/21 クスコの町


が綺麗なのは、毎朝公共の場所を掃除している人たちがいるからのようです。
南米にしては先進的な取り組みなのかも、、
ボリビアから来たらペルーはとても進んだ国に見えます。

8/21 クスコの町







今日はなにもせずにこれからのたびの準備と体力の回復に努めよう。

といことで町に出てぶらぶらして後はゆっくり寝ることにした。

クスコの町はきれいな町だ。

リマが東京ならクスコは京都と行った感じ

芸術祭のようなものをやっていて町中にオブジェがあったり

マチュピチュへの入り口の町なのでアウトドアショップのお店が並んでいたり

古風なバスが走っていたり、、

中南米でこんなにきれいな街は始めてかなぁ。。

しかもTCが現金化できて今後のツアーの申し込みも終わったので精神的にも楽になった。

とは言えそんなに贅沢が出来るほどではないけどね、、

8/21 命の洗濯を


クスコに着いたらホテルからの迎えが来ていた。
6時にホテルに着いたらそのままバタンキューだった。

コロニア・オキナワを出てからの4泊のうち、3泊がバス泊だったので相当疲れが溜まっている。

溜まった洗濯物をやって街へ出た。
クスコは今までとはまったく違うきれいな街。

すぐにMoneyExchangerという文字が見つかったので早速両替。

さらに旅行代理店も兼ねていたので、旅の終わりのリマまでのチケットやホテルを全部申し込んでバウチャーを入手した。
これからはスペイン語の交渉も無いし、すべてのチケットやホテルの支払いをすましたのでだいぶ楽になりそう。

8/20 静止した闇の中で

トラベラーズチェックがなかなか現金化できる場所が無いのでひとまず都会に出ようと一気にクスコへ

4時間移動しコパカバーナ -> ティティカカ観光 -> 3時間移動しプーノまで

の後に夜行バスでクスコ

ラパスで予約したときは結構いいバスだから安心してください。
と言われていたのだが、、、

この移動が今回の旅で一番きつかった。
席に座ろうとしたらすでにインディヘナの人が座って、アンデスっぽい柄の毛布に包まって眠っていたので
「Perdon」(すみません)
と言って跨いだつもりが、しばらくすると大きいおばちゃんが現れて
「Buenas Noches」こんばんは
と言って、どかんと座った。

えー
湖の毛布の中に人が居たんじゃなかったの~!?

その巨体にその毛布を包むのだからプレッシャーはかなりきつい。
座席の1.5倍近くは使っている。

しかも、娘の近くがいいからと、本来自分の横に座る欧米系の外人と席を替わってもらったらしい。

そのバスは暖房の効きが悪い上に毛布の配布は無かった。
外人さんたちは結構厚着をしているが、自分の上着はバスのトランクの中でもう取り出せない。

皮肉なことにおばちゃんのあったかさを頼りに朝5時まで寒さに耐えながらうとうとした状態で過ごした。

プーノのウロス島は名残惜しかったが、早くTCを現金化しないと、、、、

プーノのバスターミナルでホテルを予約してよかった。
朝の5:00からホテル探しをする羽目になるところだった。

クスコで休息と旅の立て直しをしよう。





8/20 いよいよペルーへ





 久しぶりの陸での国境越えです。

 
バスで旅行なんて学生のころ以来していなかったからねぇ
 ちょっとワクワクです。

 しかし今日もバスの移動が長い。。
腰痛いわ、、、

写真
 ボリビアの出国手続きをして

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 門を超えるとそこはもうペルー

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 入国手続きと両替をしたらもう終わり

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 国境で見るティティカカ湖の夕焼け
 きれいでした。

8/20 太陽の島・月の島






太陽の島、月の島は沖縄で言う久高島や日本の天照大君の岩戸のような神様が降り立ったという伝説がある場所とのこと。
初代インカ皇帝がここに降り立ちインカ帝国が始まったといわれている島で、歴代の皇帝もたびたび訪れた島とのことです。

写真
 坂が多い島なのでトヨタや日産に相当する高級車はリャマとのこと
 そこら中に糞が落ちています。

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 高い山を黙々と、、

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 葦で出来た帆船。観光用だと思います。

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 歴代皇帝の別荘地

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 水源が分からない若返りの水

8/20 文明化した島の中で



ボリビアからのツアーに付いていた「太陽の島」について自分は大きな勘違いをしていた。

自分は葦で出来た島を想像していたのだが、この島はそうでないらしい。

そもそもスペイン語でIsla del solとあったので良く分からんかったけどチチカカ湖やったら葦でできた島に間違いない。
と勝手な想像で申し込んだら、葦でできた島というのはウロス島と言ってペルーのプーノという町からのツアーで行くらしい。

船に乗って着いたらあまりの高い階段に愕然。
「こんなに空気薄いのにこんな山に登るの~?」

ぜいぜい言いながら登ると途中で、リャマを引いたかわいい女の子が出てきて写真を撮ったらリャマでとうせんぼして「Money!Money!」と言ってくる。

そんないきなり出てきて勝手にお金を要求するなんて、日本だったら振り込め詐欺じゃんと思いながらもあまりにしつこいので1ボリ渡しました。

街でも「Uno Photo!、Uno Photo!」と言ってくる人たちが居ましたが、どうせお金を請求してくるので無視しました。

そもそもこの島は7年前にはまったく文明化されていなかったのが、ツアーの対象となり電気が来て文明化されて、こんな女の子がこういう商売をしているんでしょう。。

こんな幼い子供がこういう発想でお金儲けをしようとしているのが昔からずっと続いている。

これがボリビアの現実です。

8/20 トゥルーチャ




昼ご飯にティティカカ名物のトゥルーチャ(マス)を頂きました。

コロニア・オキナワに居るころからティティカカ湖に行ったらトゥルーチャを食べるんだぞ
といわれていたので、、、

リーモ?

と言われてなんか良く分からんかったけど、、

「Si」はい

と答えたらレモンが乗ってきたがこれがなかなか絶品。
油がのったマスにぴったり合ってかなりいける。

ティティカカ湖には養殖場やトゥルーチャ漁をする帆船も走っていました。
みなさんもティティカカ湖に行ったら必ずトゥルーチャを食べてくださいね。

8/20 ティティカカ湖 宝石の展望台、湖の眺め






今日も弾丸ツアー

ラパス -> コパカバーナ ->プーノ -> クスコ

前日泊まったホテルの一階に旅行代理店があり、早くTCの両替をしたいというのもあり、ティティカカ湖の観光が終わったら、そのまま一気にペルーに入り都会のクスコに行くチケットを入手した。

フロントの女性が、アメリカに語学留学に行っていたときに日本人に良くしてもらったみたいで親日家でした。
ホームパーティーに行ったときのザルソバがあまりにおいしくて感激したという話をしてました。
携帯の電話とか教えてもらってよかったら電話ほしいみたいな感じでしたが、、
お金があれば、日本食屋に連れて行ってあげれるんだけど、そんな余裕もないし、、、

なんせ今の自分の旅行には、ショッピング、ナイトライフというオプションは消えているので、、

しかし、

愛はお金で買えないというけども
確かにお金があれば愛は潤う
とも思う。

どうでしょう?
お金をかけずに愛を潤わせることも可能か、、、

ところで、本題
コパカバーナはティティカカ湖のボリビア側の町。
タイトルのとおり、宝石の展望台、湖の眺めという意味だそうです。

そういえば、ティティカカ湖は中学校の地理で名前が面白い(乳母湖?)ので妙な盛り上がりがあった覚えが、、
まさか自分が行くとは思いませんでしたが、、

でも実際の発音はティティカカ湖


写真
 コパカバーナの街へ
 地図で見てたら湖を挟んだところにあったので、どうやって行くのかなと思っていたらなんとバスごと船に乗せて運んでました。
 こんなしょぼい船で大胆な。。
 日本だったら考えられないですね。

写真
 高度計は4065mの最高記録
 実際は100mほど誤差があるので4200mは行っていると思います。

写真
 高度が高く太陽が近い。
 完全冬用の服ですが顔だけが焼けていきます。

写真
 こんな空気薄い中、サイクリングしている人がいました。

写真
 コパカバーナの街
 欧米人ばかりで日本人は居ませんでした。

    
 

8/19 ラパスの町






乗り合いバスには、ハイエースが使われてドアを開けた状態で行き先を叫んでいる。

ラパスの町に走る車はほとんどが日本の10年以上前の車が流れてきていて、塗装もそのままで
阪神タイガースのマークのついた車
介護サービス○○とか
トヨタカローラ沖縄
とか干ししいたけの会社など、、

見ていて結構笑える。分かるのは日本人だけやけど、、

しかし、トラベラーズチェックを変えられるような両替所は無いな。。

という訳でまたもや街の普通の食堂でcomer(食べる)することにします。

スペイン語のメニューが出てくるがPOLLOとかは分かってきたが、まだまだ全然スペイン語が分からないのでいつも同じものを頼んでしまう。

おばちゃんが「これこれ」というから、よく分からんが「siはい」と言って何が出てくるか分からんまま頼んでみました。

牛肉とライスとポテト・トマトのセット
外人には向いているって事かな

結構いけました。

久々にCERVEZA(ビール)が飲みたくなったので、インカビールというものを頼んでみた。

ワインみたいな感じでむちゃくちゃ甘い。
コップに注ぐと泡だらけ、、、

ワインと思って牛肉と合わせて飲んだが、やはり残してしまった。

高度が高いところとか寒いところはビールはのど越しで飲むものではないのかな

    

8/19 ボリビアという国の人

コロニア・オキナワで聞いた言葉
「ボリビアという国には「迷惑」という言葉は存在しないよ。」

ごみは車の窓から捨てるのは当たり前
道路はゴミだらけ、、
缶・瓶はもちろん、紙おむつまでも、、

オキナワの人たちが、ボリビアから買い取ってジャングルから開墾した土地でさえ、勝手に耕してしまう。

コロニアンチュの農機具を盗むのは日常茶飯事
門番を付けたらその門番が盗んで行く始末。

わずかな期間にボリビアに居ただけでも、そういうのが目に付いてしまう。

ボリビアが貧乏なのは、資源が無いからという。
地球のリチウムの半分はウユニ塩湖の下に眠っているのに、、

権利は主張するが義務は果たさない。

ボリビア人全員がそうでば無いと思うけど、人数の割合としてはかなり多いと思う。

でも、日本にも最近そういう人多いなぁ。