2009年8月24日月曜日

8/19 ティワナク遺跡






ティワナク遺跡のツアーガイドは、ウユニと違ってものすごいしっかりしていました。
英語のガイドが必要なメンバーは南米では少数派ですが、スペイン語、英語両方で丁寧に説明してくれます。

120ボリ(2000円弱)とウユニのツアーより安かった割には充実したツアーでした。

ティワナク遺跡は、紀元前から12世紀ころまで続き、マチュピチュなどのインカ文明の前のプレインカと呼ばれる時代の遺跡で、その時代はティティカカ湖が近かったので水の入手が可能であったが、ティティカカ湖の位置が変わったため、水の入手ができなくなり滅んだのではないかということでした。

写真
 世界の車窓に出てきそうな駅の風景
 高度3870mなので富士山の山頂より高く、遺跡の中の移動は相当しんどいです。

写真
 モノリートと呼ばれる石造
 コンドルやリャマの文様が精巧に描かれています。
 コンドルは「Power」の象徴、リャマは「Intelligence」の象徴だそうです。
 その他にもカエル、ヘビ、馬など文様があり、それぞれ説明がありましたが忘れました。
 

写真
 精巧な石の細工だけではなく、クサビのようなものを使用して固定して高度な石器による建築がティワナク遺跡の特徴。
 この溝にクサビを入れて使用していたとのこと。

写真 
 昼食は一軒だけある食堂でリャマのステーキ

写真
 帰りにラパスの町を写すのに一番良いビュースポットで車を止めてくれた。
 ツアーの参加客からも「You are so professional」という言葉がかけられていた。
 ウユニのツアーガイドにも爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ。

8/19 How can I get the tiwanaku tour?



2泊3日(うち2泊ともバス泊)の弾丸ウユニ塩湖ツアー
バスの予約が出来ていないというハプニングがあったものの、何とかラパスまで朝の6時に到着しました。

行きは朝方が舗装されていない道路だったので気づきませんでしたが、帰りはいきなりガタガタ道から始まりなかなか眠れず、ラパスに朝5時くらいにうとうとしながら着きました。

とりあえずラパスに着いたものの、どうやったらティワナク遺跡に行けるのか分からないのでバスステーションでバスを探してみたものの見当たらず、日系人経営の「一番」というホテルに行けばなんらか情報があるかも知れないと思ってタクシーで行ったものの、なぜか閉まってました。

どうしようも無いので、とりあえず街の中心あたりを地図で示してタクシーの運転手になんとか伝えてつれていってもらい、、、

ラパスの中心のサンフランシスコ教会付近に着いても、とりあえずどこに旅行代理店があるのか分からないので適当に歩いてたら、旅行代理店の前で掃除している兄さんが居たのでティワナク遺跡のツアーはあるかと聞いたら
「Sometimes OK, Sometimes No」
という返事が返ってきた。

10年前はスペイン語しか通じずチケットを買うことすら、必死のパッチでやっていたことを考えれば、今の観光地で相当英語が通じる。

ボスに電話してもらうとなんとか最後の一席が空いているとの事
また奇跡が起こり、バスで2泊の後、高度3800mのティワナク遺跡観光です。

あぁしんど、、

8/18 弾丸ツアーとボリビアの人

2泊3日の激烈な弾丸ツアー
 8/17 サンタクルス->ラパス->夜行バス->ウユニ
 8/18 ウユニ塩湖ツアー -> 夜行バス -> ラパス
 8/19 ラパス->ティワナク遺跡 ->ラパス

名嘉さんからも言われたが2泊ともバスというのは、やはり結構きつかったっす。
おまけに行き当たりばったりの一人旅でスペイン語出来ないし、ボリビア人が適当やし、、、

ウユニ塩湖のツアーが終わって帰りのバスに乗ろうとしたら
いきなり
「お前は予約されていない」
とか言われてしまい、、、

チケットを二枚もらっていたので帰りのバスかと思っていて確認したら全然違う日の違う人のチケットやし、、、!?

ラパスのオフィスに電話したら勘違いしたとか言われて、、、
なんとか最後の一席が奇跡的にあまっていて帰れたら
「You are lucky」
って他人事みたいに言うなー!!


その前のウユニ塩湖のツアーは
10:30スタートとか言いながら、11:00くらいにやっとドライバーが現れて、ツアー客を乗せてから、ガソリンスタンドに行って、スペアタイアを取りに行ってようやく街を出たのが12:00くらい。。

それからというものの、写真を撮ってゆっくりしてたらクラクション鳴らされて戻らされるし、、

一泊するフランス人カップルの予約した宿を探すためにうろうろして人に聞きながらだらだらだらだら移動するし、、

もっといい写真を撮りたかったのに単に場所を移動しているだけのツアーで、あまりのいい加減にワジワジしました。

日本人だったら、前日までに準備を済まして、5分前に集合して、ブリーフィングしてとかって考えてしまうのですが、、

ボリビア人はアミーゴとして適当に付き合うには楽しいが仕事のパートナーとしては信用できる人間はいないという話をコロニア・オキナワで色々と聞いていましたが、まったくそのとおりであることを実感しました。

ボリビア人のすべてがそういうわけではないと思いますが、、、

そんな感じで、ガラパゴスのような洗練された観光地や日系社会から飛び出して、ボリビア人社会に飛び込んだところでストレスが溜まる今日この頃であります。

8/18 自然の造りしもの ウユニ塩湖 2







写真
 塩のホテル
 今は博物館です。

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 ウユニ塩湖の中に島がいくつもあります。
 トゥヌバ火山とリャマの骨

写真
 トゥヌバ火山のホテルで昼食
 リャマのステーキでした。

写真
 トゥヌバ火山のホテルではフランス人カップルが泊まっていました。
 一人ではあまりにさびしい場所です。
 日帰りツアーで良かったかな。






                 

8/18 自然の造りしもの ウユニ塩湖





ボリビア人のいい加減差に惑わされながらも、、、

何はともあれ、ウユニ塩湖に行ってきました。

地平線の先まで続く塩の海にそこに浮かぶ島々。
地図で見るとこんな感じです。



自然の作り出した偉大な造形美は一生忘れることは無いと思います。

動画 車窓から見たウユニ塩湖
写真 ツアーに使われるジープはほとんどが日本製トヨタのランドクルーザーでした。
写真 ウユニ駅付近の機関車の墓場
写真 ウユニ塩湖入り口付近のコルチャニの製塩所
写真
コルチャニにある売店で売っていたジャガイモと肉の炒め物
絶品でした。
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8/18 TODO Turismo、リラックスの座席




TODO Turismoに一晩乗って翌朝にはウユニに着きます。
リクライニングの倒れ方が180度までは行かなくてもそこそこよかったです。
ラパスを出発後すぐに食事・ドリンクが出てきました。

しかし悪路のため結構疲れはたまります。
しかも途中で雪が降っていて朝着くと窓に氷が張っていました。

朝着いてバスから降りるとさっそくツアーの勧誘がやってきた。
値段を聞くととにかくオフィスに来いというふざけた勧誘が多い中、正直に180ボリ($25)と言ってきた女性がいたので、そこに即決した。

GAVIOTAというオフィスでした。

約25US$

こんな客引きは難波の繁華街かどっかなら分かるけど、世界に誇れるこんな観光地でやっているようではボリビアに未来は無いなぁ。。。

6:00にバスが着いて、ツアーは10:30というので朝食がてら、ウユニの街をちょっと散歩。

しかし3660mと富士山と同じ高度だけあって太陽が近い、、、


    





        

8/18 高山病(SOLOCHE)との戰い 


ラパスの空港に着いて腕時計の高度計を見るとなんと3925m
実際は100mくらいの誤差があるので、4000mは超えている。
普段は大正区の0レベルの高度で(昔湿地帯だったので下手したらマイナスかも、、)
生きているのでちょっと歩くだけで息苦しい。

晩御飯代わりに軽くPOLLO(鶏肉)のSOPA(スープ)を食べていると、ロッキーの映画をやっていてちょうどトレーニングのシーンだったがまったくテンションは上がらなかった。
あれだけサンタクルスで水のように飲んだCERVESA(ビール)も全然飲む気にならない。

頭痛は無いが、名嘉先生にいただいたSOLOCHEの薬を飲んで、TODO TurismoのOfficeで静かにすごした。







                 

8/18 サンタクルスからラパス、そしてウユニへ

サンタクルスの空港で冬用の服に着替えて飛行機に乗り込んだ。
今まで、ナウタルーツの石倉さんやコロニア・オキナワの日系人の方々のお世話になり温室の中でヌクヌクと旅をしていたのだが、これからはスペイン語圏の中で一人で旅を続けなければならない。

しかも限られた現金で、、

ボリビアの首都のラパスの空港なら、いくらなんでもトラベラーズチェックは換金できるだろうと思っていたが、そんなには甘くなかったようでなかなか安心して旅が続けられないです。
リマまでは贅沢しなければなんとかいけると思うのですが、、、
クスコからの飛行機代がやばいといったところか、、

TODO Turismoのリクライニングシートのバスに乗ってウユニに行くためにまずはバスターミナルへ、、

空港でタクシーを拾うも英語ではまったく通じず、TERMINAL TERRESTRE(テルミナル、テレストレ)と適当な発音で言ってみると通じたので、50ボリ(約7$)でバスターミナルへ着いたが、そこから重い荷物を持ってTODO Tourismoを探すのが大変。

Donde esta TODO turismo?

と言ってみるものの返って来るスペイン語がまったく理解できない。
良くこの状況うで一人で旅行しているなと我ながら関心。

バスターミナルの中ではなく外に出たところにあることが判明。
往復のバスチケット(230ボリ)を買って取敢えずは一安心。








       

8/17 コロニア・オキナワのお土産




T-Shirtsを購入

ハッピとボールペンは豊年祭の実行委員長の方にいただきました。
ボールペンは栓抜き付です。
さすが、コロニア・オキナワ!

皆さんへのお土産はあまり期待しないでください。
なんせ貧乏旅行中ですので、、
土産話はこのブログで、、

8/17 涙


コロニア・オキナワから空港に向かう途中に涙雨が降ってきた。
やはり自分の天気運は良いと思う。

8/17 名嘉先生


今回、コロニア・オキナワに行くに当たり、色々とお世話をしていただいた日ボ学校の名嘉先生は私の沖縄三線の師匠である仲田順市先生と同じ伊是名島出身で、その上、同じ仲田集落の出身ということでした。

学生のころと仲田先生のお母さんのお祝いで二回伊是名島に訪れて、三回目には地球の裏側で伊是名島の方に色々とお世話になるなんて、、

これこそ縁なのかも、、

一番最初にコロニア・オキナワを知ったのは「クイズ伸介君」と言う番組で突撃隊がコロニア・オキナワを訪問していたのを見たことからだと思います。
でも南米と言うことは意識していても、それがボリビアだと言うことまでは意識していませんでした。
というか、今までボリビアについて考えたことが無かったというのが近い。

元々はガラパゴスとマチュピチュにさへ行ければいいかなと思っていたのですが、「地球の歩き方」を購入して見るとエクアドル、ペルーの他にボリビアがあり、そこにはコロニア・オキナワのことが書いてあって、、

コロニア・オキナワをインターネットで調べているうちに、名嘉先生が同僚の方やご両親に向けて状況報告されているブログを発見し、コロニア・オキナワにはどうやって行ったらいいのかとか、宿泊出来るところあるのかなど色々相談しているうちに、伊是名島繋がりだから是非泊まりに来てくださいということで今回お世話になることになった次第です。

迎えの車の中でもオキナワ村の子供たちや生活の話などをしてくださり、非常に熱いハートの持ち主の方で同世代と言うこともあり、すっかり意気投合してしまいました。

本当に今回は色々とありがとうございました。

名嘉先生のご協力なしでは、コロニアオキナワに来てここまで楽しめることはありませんでした。

最後の日はアメーバ(赤痢みたいな病気)に掛かってしまったりしたのに、色々とお世話になりました。

今度はぜひ伊是名島でお会いしましょう。

また名嘉先生以外にも田場先生、みすず先生、のぞみさんなどボランティアや県の事業の派遣の立場で来られている方が熱心にボリビアの教育に取り組んでおられるのを見て感動しました。

今後ともオキナワ・コロニアルの発展に向けてのご活躍を期待しております。


写真は名嘉先生が食育の一環として、鶏を育てて自ら下ろして食べると言う授業のために庭で飼っておられた鶏です。

8/17 日ボ学校






名嘉先生の勤務地でもある日ボ学校を見学させていただきました。

私立の学校なので授業料はボリビアの公立学校に比べて高く、主に沖縄出身者もしくは恵まれた一部のボリビア人が通っているとのことでした。

授業は午前はボリビアと同じ教育課程が実施されて、午後からは日本語による授業が実施されているとのことです。

昼からの授業には沖縄三線の授業などもあるそうです。

日ボ学校が出来る前はあまり日本語教育が実施されておらず週2時間だったそうで、逆に3世の今の時代の子供たちのほうが上手に話せる人が多いらしいです。

8年生(中学2年)で小学校6年までの国語の授業を完了するのですが、それ以降の高校はサンタクルスの街にあるためみんなサンタクルスに出て行ってしまい、日本語が話せるレベルは家庭環境によりまちまちだそうです。

今までは、なんとかボリビアの社会で生きていくための教育が重視されていたそうなのですが、最近は出稼ぎブームで日本に行った方が日本で苦労されたので、日本語教育も見直されてきているとのことでした。

8/16 コロニア・オキナワの農業2





開拓当初の自宅
 今の立派な家と比べると、厳しい時代を乗り切ったんだなと言うことが良く分かりました。

家畜やとうもろこし、麦畑
 コロニア・オキナワはボリビア内でも麦でとても有名だそうです。

8/16 コロニア・オキナワの農業






豊年祭にJICAのボランティア隊員の方が来られていて、翌日にコロニアンチュの農家の方の畑の見学をされるので便乗して一緒に見せていただきました。

この農家の方は子供のころに十年間大阪の西成にいて、その後アルゼンチン、ボリビアに渡ってきてコロニア・オキナワの開拓に携われたそうです。

移民して成功されて、そのまま現地に残られている方は、さすがに色んな苦労を乗り越えてきただけあって貫禄がありました。

今の大阪の話や沖縄の話など色々と話をした後に、実際の畑や農機の見学をさせていただきおいしい昼ごはんまでご馳走になりました。

久々の漬物にも感動!

大変貴重な時間をすごさせて頂きました。

CAICO
CAICOはいわゆる農協で、その共同施設です。
 日本人の得意な組織力がボリビアでの開拓の成功の原動力になったそうです。

麦畑
 伊江島から持ってきた麦を実験的に育てていました。(緑のほう)
 害虫に強い品種だそうで、うまく言ったら植え付けを増やすそうです。

収穫用のトラクター
 アメリカ並みの規模での農業を実践されています。
 
種蒔き用の機械
 この状態で道を走り、実際に種を蒔くときは違い方向のタイヤを下ろして蒔くそうです
トヨタの大型車
 70年代のものですが、まだまだ現役です。
 日本車の品質はすばらしい。


8/15 コロニア・オキナワの様子2






比嘉食堂
 こちらもボリビア料理ばかりです。
 SOPA(スープ)が絶品でした

ホテル
 最近できたとのこと
 概観はきれいで2000円程度だそう。


豊年祭のポスター
 町中に貼られてました。

インターネット
 日系の人がやっているらしい。。

野良ダチョウ
 街や畑には普通にダチョウが歩いている。

8/15 コロニア・オキナワの様子






大正区もそうですが、見た目は他と変わらない街で、抵の人は「ふーん」で通り過ぎてしまうそうです。

見た感じはラテンのそこらへんの街と変わりません。
見た目に分かるのは守礼の門がある熱田食堂くらい。

大正区に最初住んだときもあんまり実感がわきませんでしたが、三線を習って色んな人との付き合いが増えるとすごい沖縄を感じることができました。

名嘉さんもおっしゃっていましたが、日系人っぽい人を見つけたら声をかけることで色んな人との繋がりが出来て色々と見て廻ることができると思うので勇気を持ってまず話しかけてほしいと言うことでした。

もちろん、収穫など忙しいときは無理な場合もあります。

街の様子
地図はこちら

コロニア・オキナワの父 ビクトル・パス・エステンソーロの像
 オキナワからの移民を受け入れたボリビアの大統領だそうです。

教会
 大熊さんという日本人の方が牧師をされています。
 むちゃくちゃ元気で明るい方です。

屋良商店
 食材なら何でもそろいます。

オキナワ第一地域の公民館

熱田食堂
 残念ながら今回行けませんでした。
 沖縄料理よりボリビア料理が主体だそうです。

8/15 せめて、人間らしく



沖縄とラテンが混ざると、泡盛とテキーラを混ぜた感じでさらにテンションアップ。

カチャーシーが終わった後は、隣の公園でラテン系の音楽が始まり日系人もボリビア人もチャンプルーでダンスを踊ってました。
知り合い同志でなく出会ったらすぐにアミーゴになって踊っているようです。

こういう環境で育ってきているのでコロニアンチュの方々のテンションは自然と高く完全に圧倒されました。

その後はコロニア・オキナワにある青年会館で、若者たちがダンスを踊っていました。
コロニア・オキナワには高校が無いので、中学を卒業するとみんな街に出て行くため久々再会したみたいですごい楽しそうでした。

ボリビア仕込みのダンスを教えてもらいましたが全然踊れず笑われました。
沖縄人の血を引いているんだからダンスも上手に踊れてあたりまえさぁ

いつも思うんですが、何で沖縄の人はカチャーシーがあんなに上手に踊れるんでしょうねぇ。。。。

ちょっとだけ彼らと話しましたが、みんな素直でいい子達でした。
日本に居る若者より、若者らしいパワーを感じました。

異国で生きていくためには昔のような隣の家に醤油を借りに行くようなレベルで助け合っていくことが必要で、横の繋がりが醸成されていくのだなと思いました。

コンビニがあって誰の助けもなしに生きていけるようになった日本ではなかなかこういう人と人との付き合いというのは出来ないんだろうな。。

特にうちの会社は、、、
人間らしく生きているのだろうか?

 挨拶は無い。(朝も帰りも正月明けさえも)
 胃潰瘍や精神的な病気で毎年倒れる。
 病気になって、復帰しても声かける人が少ない。

とりあえず、納期と売りと利益上がればそれでいいみたいな感じですね。
毎年誰かが倒れようと、、

 もちろん企業だから利益を出して、国に税金を納めることが社会的な責任の第一なのだが人間らしく生きることより、納期や目標を達成することの方が重視される。
 まあ、その会社を作っている一員として、自分も非難できる立場ではないし、個人の力ではどうしようもないと思うけど、すこしでも雰囲気を変える努力をしていこうと思う。

多分、復帰したら周りに飲み込まれて、人が変わるんやろうけど、、