2009年8月31日月曜日

8/27 日本人移住史資料館











カテドラルとか街に行っても、あんまり興味ないから日系関係の資料館に行ってみた。

ペルーの移民はボリビアのサンファンやオキナワの移住地とは異なり土地を供与されるのではなく、純粋に労働力として移民した方が多いとの事。

農作業はあまりにきつく街に出て商売をするようになった人が多く、事業者として成功している方のほうが多いとの事です。

日本以外の他の国からも移民はあったが、これだけの人数が残っているのは日本人がほとんどだそう。

商売では日本人の才能は認められていたが、フジモリ大統領が出てきてからは政治の分野でも手腕を発揮している。

コロニア・オキナワのように組織的な日本語学校があるようではなく、2世、3世で日本語を話す方は少なそうです。

移民として出て行った日本人は帰って来たら安い労働力として使い捨て
沖縄県は県の事業でやっているけど、本来、国の事業として日系社会をもっと支援すべきでは?
と思いました。


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 忠実、根気、責任、信頼。。
 日本人の良いところでもあり、悪いところ、、、

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 刀という名前の食堂
 焼き魚がかなり半生でしたけどそこはご愛嬌。

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 働いているのも日系人
 でもほとんど日本語は話せず、私を見ても日本人が来たみたいな感じでおどおどしてました。
 出稼ぎで愛知に来てた男の子が対応してくれました。
 ジャンとかオジサンとか結構タメ口でしたが、、

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 敬老会のような集まり。
 どんぐりころころとか高原列車とか歌ってました。
 オルガンはJICAのボランティアの方がされていました。

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 マチュピチュを発見したハイラムビンガムの関係?の学校の生徒が見学に来ていました。
 インカの遺跡からは日本人の顔をした人形が多数出土しているため、南米と日本は古代からつながりがあったというのがこちらの通説のようです。

 ティワナクでも、その話題が出るとJapaneseは自分だけなのでいつもじろじろ見られてました。

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 沖縄と日本の人形が並んであります。

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